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32件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1993-05-21 第126回国会 衆議院 予算委員会 第23号

そこで、直ちに十二月二十六日控訴をし、そしてさらに裁判を続けるという状況の中から、いろいろ話をした結果、年末になりまして、公団を通じて都から土地を払い下げさせる、そして、事もあろうに、支社長の理事昇格運動などをやろうということまで含めて、この支社長安原という人が、中島科学技術庁長官と高校の同級生であるといいます。

中西績介

1991-06-27 第120回国会 参議院 決算委員会 閉会後第9号

そこで、県道から国道への昇格運動というのが全国で物すごく起きているんですね。それはなぜかというと、それぞれの都道府県における県道整備というのは財源がどうしても足りないということで長期的にわたる、国道昇格してくれればその進捗度合いというのが速くなるというところから起きているんだろう、こう思いますが、これは昨年の決算委員会でも同様な質問をいたしました。  

会田長栄

1990-04-27 第118回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

そのため、京都府あるいは兵庫県、さらに鳥取県の関係沿線市町が相集い、丹後・但馬・因幡を結ぶ府県道国道昇格促進協議会を結成をし、そして宮津−鳥取間の国道昇格運動を展開しているところでございます。地域間交通の増大を背景に自動車交通が広域化している昨今でありますが、国道網の大幅な将来構想延長の見直しを実施され、ぜひとも一般国道に組み入れていただきますよう、心からお願いをしておきたいと思います。  

吉岡賢治

1978-05-31 第84回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号

そういう意味から、那覇空港というのはすでに備えというか、そういったものも国際空港としての乗り入れ等もございますし、問題は、いま御指摘の南の玄関口とこれからいろいろ想像される、こういうふうなことを考えた場合に、県の方も大変情熱を込めて、国際空港昇格運動と申しますか、大変熱意があるわけであります。

稻村佐近四郎

1975-02-25 第75回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

長年小倉支部昇格運動をやってまいりましたが、まだ実現をしておりません。これは法務委員になってでも推進をすべき問題だと思っているのですが、北海道には三つ地方裁判所があるが、そのほかの都府県には裁判所が一つしかない。同じようなのは八王子にあるかと思いますが、それに近いと思いますが、比較になりません。  

吉田法晴

1966-07-29 第52回国会 衆議院 建設委員会 第2号

それで松江、広島県の三次、尾道、今治、それから三崎から佐賀関、大分に至るというこの中国四国九州の一貫した国道昇格運動というものは前から続けられてきたわけですね。これは私はぜひやらねばならぬと思うのだ。目的は京阪神の経済に直結するんじゃない。山陰、中国四国九州のあれでございます。

井谷正吉

1960-02-26 第34回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第3号

最初のうちは作ってくれ作ってくれと言いましたが、設置をいたしますと経費が持てないというので、昇格運動今度は一つ直轄にしてくれ、それから手数料を引き上げてくれという要求——実際現在公共団体で請負にしてやっておりますけれども、この経費はまことに微々たる手数料でありますから、当然公共団体なり、あるいはその個人がそれだけの負担をしなければならぬということになります。

片島港

1957-02-20 第26回国会 衆議院 文教委員会 第5号

まず最初に、よく世間学校昇格運動というようなことがございますが、手続上からいえば、たとえば短期大学を四年制の大学昇格する、こういうような世間一般にいわれておる内容も、実質的には短期大学をやめて新たに四年制の大学を設立する、こういう手続になろうとしろうと考えでは考えておるのですが、いわゆる大学昇格というような手続は、そのほかに特別な手続があるのでございましょうか。この点御説明願いたい。

栗原俊夫

1956-12-13 第25回国会 参議院 本会議 第16号

この新道路法は、国道を一級、二級に分けて、関係地方民昇格運動等が予想され、あるいは差別を必要としないような疑問を残したのでありますが、とにもかくにも、従来の不完全な法令を整備した点において、われわれは賛成して参ったのであります。  次いで、昭和二十八年、道路整備財源等に関する臨時措置法により、翌昭和二十九年度より道路整備五カ年計画が打ち出されたことは御承知の通りであります。

田中一

1949-05-22 第5回国会 参議院 文部委員会 第18号

その後文理科大学の側におきまして、東京教育大学という、その教育大学という名称には、過去のいわゆる師範学校昇格運動と連関するような点もありまして、これを是非避けて欲しいというような話もありましたので、本年の初めに更に話合いをいたしまして、東京文教大学という名称で、相互の間の多少の不一致はあつたのでありますが、折合いによつて東京文教大学という名前になつたのであります。

日高第四郎

1949-05-13 第5回国会 衆議院 文部委員会 第17号

特色とする一つ大学にしてはどうかという案を立てまして、それをかりに東京教育大学というふうに名づけてはどうかということでお話をいたしまして、皆さんの御贊成を得ましたので、そういう意味で結合をして出発をいたしたのでありますが、昨日も申し上げましたように、教育大学という名称には、そのもの自体は理論的にはりつぱなものでありまして、何らの欠陷はないと確信いたしておるものでありますけれども、前に師範学校昇格運動

日高第四郎

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